日本語と英語が混ざること

4歳0ヶ月。

トランス・ランゲージングという考え方

以前、わたしが大好きなブロガー Yoshieさんのブログで取り上げられていた、トランス・ランゲージング(translanguaging)という考え方、非常に興味深いです。

2言語が混ざるという意味では、コード・スイッチング(code-switching)と似ている印象を受けますが、根底にある捉え方が違うようです。

たとえば、日本語と英語とバイリンガルの場合、

従来のcode-switchingという考え方では、「日本語」と「英語」を独立した言語として捉え、文中や文間で その2言語を切り替えるとしています。

それに対してtranslanguagingは、「日本語」や「英語」を独立した言語体系と捉えず、その人の持つ 一つの言語システムとして捉え、その人がアクセスできるリソース(資源)として見ています。

そして「trans-(越えて)」という言葉が示すように、言語の境界線を越えて言語を駆使し、コミュニケーションを図ることに焦点が当てられています。

そのため、従来のように、言葉をごちゃ混ぜにすることが否定的には捉えられていません。むしろ、その人が持つ言語システム(2言語以上の)にアクセスして、コミュニケーションを図ろうとするという意味では、言語の発達に欠かせないとしています(Garcia, 2009)。

どういう場面でトランス・ランゲージングが見られるのか

主には、教育の現場で translanguagingの現象が記録されているそうですが、ヒップホップの歌詞、子ども同士のやり取り、道路標識などでも見られるようです(Canagarajah, 2011)。

たとえば、アメリカの、スペイン語と英語のバイリンガルクラスでのケース。

先生はスペイン語で授業をし、生徒たちは英語でノートを取る。また生徒たちは どちらかの言語で読み、もう一つの言語で書く、というように、2言語の行き来が自然に発生しているそうです(Garcia, 2009)。

ただ、この考え方は、比較的新しく、研究者や研究分野によっても定義が異なり、さまざまな議論がされているようです。

こうした translanguagingの考え方は、教育現場でのケースが多く、年齢も低く両言語が発達段階にあるSmileには当てはまらないと思っていましたが、アメリカの バイリンガル幼稚園での研究ケースを読むと、幼少期の言語発達にも当てはまるのでは、と感じています(Garcia, 2009)。

娘のトランス・ランゲージング?

日本語環境のときと、英語環境のときで言語を切り替えできるようになってきましたが、それでも時々、言語が混ざるときがあります。

  • Smile: こないださ、みんなでホスピタル行ったときさ
  • わたし:うん、病院に行ったとき?
  • Smile:うん、病院に行ったときさ
  • わたし:うん

カタカナ英語にしてはいるものの、「病院」という言葉が出なかった。でも会話の流れは止めたくなかった。だから自分の持っている言語システムから「hospital」を日本語風に直して「ホスピタル」とした、と取れます。

そして わたしから「病院」というインプットが加わったことで、Smileも言い直しました。

でも、ここで大切なのは、「ホスピタル」を使ったことが否定的なことではなく、会話の流れが止まらずに、Smileとわたしのコミュニケーションが成立していること。

これ以外にも、「公園」が咄嗟に出てこなくて、「パーク」、「雑誌」は「マガジン」、「新聞」は「ニュースペーパー」と言ったりしています。

Code-switching だと、独立する2つの言語(日本語と英語)が混ざることに焦点が当てられ、こういう現象は「よくない」とされるかもしれません。

でも、translanguagingの概念だと、Smileが 2つの言語の境界線を越えて、どのように言葉を駆使したかに焦点を当てて考えるので、どちらかというと言語発達の証として肯定的に捉えられます。

トランス・ランゲージングの概念を、日本におけるバイリンガル(マルチリンガル)育児のケースに当てはめられるかどうかは、より深い検証が必要ですが、今後、多様化が進む社会において、動的な言語成長を肯定的に捉えられるという意味では、注目すべき概念だと思います。

【参考文献】

・Canagarajah, S. (2011). Translanguaging in the classroom: Emerging issues for research and pedagogy. Applied Linguistics Review, 31, 1–27.

・Garcia, O. (2009). Education, Multilingualism, and Translanguaging in the 21st Century. In T. Skutnabb-Kangas, R. Phillipson, A. K. Mohanty, & M. Panda (Eds.), Social Justice through Multilingual Education (pp. 140-158). Bristol, UK: Multilingual Matters.

コメント

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