どちらかの言語にもう片方の言語を混ぜる
バイリンガル・マルチリンガル育児をしていたり、子どもをインターナショナル・スクールに通わせていたりすると、子どもが どちらかの言語にもう一方の言語を混ぜる場合があります。
あるいは、2つ以上の言語を文単位で行ったり来たりする場合もあります。
その現象をルー語と呼んでいる方もいますね。家庭内言語が英語という子や、インターナショナル・スクールに通っているバイリンガルの子に特に多く見られますが、具体的にはこんな発話です。
● Shoesをtake offできない。
● Can you put away 本?
最初の文は、日本語の発話に英単語が混ざっている状態。次の文は、英語の発話に日本語が混ざっている状態。
コード・スイッチング(code switching)とかミクシング・ランゲージ(mixing languages)などと言う名称で呼ばれることもあります。
コード・スイッチング
上の概念の背景には、2つ(または2つ以上)の異なる言語体系(コード)が存在し、一つの言語の不足をもう一方の言語で補うというという考え方があるそうです。
言語が混ざったり、行ったり来たりする現象をどちらかというと否定的に捉えていて、言語間には境界線が存在するという考えです。
確かに年齢が低かったり、まだ言語の発達途中で言葉の選択肢が少なかったりして、咄嗟に引き出しやすい言葉でコミュニケーションを取ってしまうことは比較的 多く見られるかもしれませんね。
でも そういう場合は、深く心配したり注意する必要はなく、
娘のケース:言語が混ざった場合
娘も3歳から4歳くらいの時に両言語を混ぜることがあったのですが、言語成長の過程なので否定的には捉えることはなかったものの、両言語できちんと表現できるようになって欲しかったので、言語が混ざった時は、
どちらの言語がベースになっているかを考え、混ざっていることは指摘せずに文単位で提示、本人が気がつけば言い直していました。
1. 日本語がベースになっている場合

Shoesをtake off できない。

靴が脱げない?

くつがぬげない。

手伝おうか?
2. 英語がベースになっている場合

I can’t do ブランコ.

I can’t go on the swing?

I can’t go on the swing.
①では日本語がベースとなっているので日本語での言い方を提示してあげます。②では、英語がベースなので英語での言い方を提示。
要は、2つの言語使用を否定的に捉えるのではなくて、言葉の引出しを提示してあげる。
それだけで子どもの負担は軽くなるし、表現の幅は広がります。これは言語が発達段階にある子どもに見られる言語使用の場合。
トランス・ランゲージングという考え方
興味深いことに、両言語の言語能力が高くても、あるいは思春期以降でもこういった現象は起こっています。
どうしてでしょうか?
例えば、インターナショナル・スクールに通っている若者同士の会話だったり、マルチリンガル同士の会話だったり、ヒップホップなどの歌詞だったり、街中の看板にも複数言語が混ざっていることがあるそうです(Canagarajah, 2011)。
こういったケースの場合、最初の方に述べたコード・スイッチング(code switching)とかミクシング・ランゲージ(mixing languages)という言葉では説明できない、あるいは説明すべきでない、話し手の意図があるそうです。
それを理論化したのがトランス・ランゲージング(translanguaging)という考え方。
社会言語学者のCanagarajah氏によると、人種・言語・国籍などが多様化する社会でこういった現象が目撃・記録されており、教育の場でもこの概念を取り入れた教授法が実践されているそうです(Canagarajah, 2011, p.2)。
translanguagingという考え方は「日本語」や「英語」といった言語を独立した言語体系と捉えず、
その人の持つ 一つの言語システムとして捉え、その人がアクセスできるリソース(資源)として見ています。
そして「trans-(越えて)」という言葉が示すように、言語の境界線を越えて言語を駆使し、コミュニケーションを図ることに焦点が当てられています。
そして それは話し手のアイデンティティとも深く関わりがあるそうです。
上に書いた、コード・スイッチングやランゲージ・ミクシングなどと言った考え方と根本的に違うのは、マルチリンガリズムを肯定的に捉えているところ。
そして言語を話し手が意図的に選択している場合もある、としているところ。
トランス・ランゲージングの考え方に関しては、Yoshieさんが過去に分かり易くまとめていらっしゃいます(Yoshieさんの記事★)。
トランス・ランゲージングの概念は、両言語においてある程度の言語力があることが前提という考え方もあります。
ですが最近では その概念は高等教育現場に留まらず、4-5歳などの幼児を対象としたトランス・ランゲージングの研究もされており、その定義や使われる文脈も多様化していると感じています。
まだ読み書きのできない子どもがどのように複数言語を使い、コミュニケーションを円滑に図ろうとしているかを観察した研究もあるので今回、バイリンガルの子どもの言語の混用に絡めて記事に書いてみました(Portolés & Martí, 2017)。
バイリンガル・マルチリンガルの言語使用
バイリンガル、マルチリンガルの幼児が言語を混ぜる現象は、言語発達の一時的な過程というのもあり、言語能力的な面ではトランス・ランゲージングという概念には当てはまらないかもしれませんが
この概念の根本にある社会文化的な考え方が、もっと広まればいいなぁと思います。バイリンガルやマルチリンガルの動的な言語使用や動的なアイデンティティを肯定的に受け入れている、という考え方です。
そうすれば、バイリンガル・マルチリンガルの子どもたちが言語を混ぜて使っていても否定的に捉えることもないし、早期英語教育をすることで「日本語がダメになる」といった否定的な意見に繋がりにくくなるのではないかな と思いました。
(もちろん と互いにコミュニケーションを取るのが難しいほど、言語を混用する状況を良しとしているわけではありませんが、バイリンガルやマルチリンガルの言語使用に対して肯定的に捉えられたらいいな と)
私自身、バイリンガル(マルチリンガル)の友人と話す時は、日本語と英語と行ったり来たりすることは多々あります。(もちろん日本語・英語だけの環境でこういう現象は起きません)
日本語を話せる英語ネイティヴの友人も、私と話す時は英語に日本語を混ぜることがよくあります。
それは単純に言葉の選択肢が足りないというわけでもなく、私と その友人とのコミュニケーションの形の一つに過ぎないと感じています。共感だったりお互いに寄り添う気持ちから来るものという感じでしょうか。
過去の記事でtranslanguagingについて娘へのバイリンガル育児の観点で書いているのでよろしかったらそちらも参照ください♪
【参考文献】
・Canagarajah, S. (2011). Translanguaging in the classroom: Emerging issues for research and pedagogy. Applied Linguistics Review, 31, 1–27.
・Garcia, O. (2009). Education, Multilingualism, and Translanguaging in the 21st Century. In T. Skutnabb-Kangas, R. Phillipson, A. K. Mohanty, & M. Panda (Eds.), Social Justice through Multilingual Education (pp. 140-158). Bristol, UK: Multilingual Matters.
・Pearson, B. Z.(2008). Raising a bilingual child. A step-by-step guide for parents. New York: Living Language.
・Portolés, L., & Martí, O. (2017). Translanguaging as a teaching resource in early language learning of English as a an additional language (EAL). Bellaterra Journal of Teaching & Learning Language & Literature, 10(1), 61–77.
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